音楽的生活1983-2008
音楽ってCDを聴いたり、ライブやコンサートに行くだけではなくて、日常生活でも音楽的なものってあるはず。 このページではそんな音楽的な出来事を紹介していきます。
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2008/09/08 [Mon] 22:07:44 » E d i t
                ハルモニオデオン
遊佐未森。

彼女の存在がなかったらもっとつまらない二十代だったと思う。
それだけボクにとって彼女の音楽は特別で刺激的な存在だった。

といっても過激な表現だったということでも、最新の音だったということでもない。
表面的なものではなく、彼女の根底にあるものこそが刺激的だった、といえる。
それが彼女にしか作り出せない音楽を作り出す原動力だったのだろうと思う。
誰にも似ていず、ましてや追従を許さない彼女の音楽に対する姿勢そのものが過激だったのだ。

出不精の自分が彼女のコンサートにだけは毎年一度欠かさず参加していた、ということからも彼女の音楽にいかに心酔していたかが知れるというものだ。他に聴く人がいなくてもボクは幸せだったのだ。

残念ながらあんなに好きだった彼女の音楽なのだが、この数年はまず聴く事がなくなっている。
ある時のコンサートでの失望感もあるだろうし、アルバム自体にエネルギーを感じなくなってしまった、ということもあるだろう。

そしてもっと大きな原因のひとつに、ボク自身が変わってしまった、ということがあるのかもしれない。

それはきっと季節のようなもの。
夏から秋に変わることでもう夏には戻れないように、ボクは遊佐未森の音楽から離れてしまったのだろう。悲しいことだけど。

いつか季節が夏に戻るように、ボクも彼女の音楽を再び熱心に聴くことがあるのだろうか。
多分、それはもうない。
仮に熱心に聴き返すことがあったとしても、それはもうあの頃のボク、遊佐未森の音楽が好きだった頃のボクとは違う。もう元には戻ることは出来はしない。悲しいけれど。

遊佐未森の音楽は聴かなくなってはいるが、彼女からたくさんの「希望の在処」をもらい「自分だけのうてな」を見つける原動力になっているのは確か。今もその「うてな」のことを思い出すだけで、彼女の声が、「僕の森」を歌う彼女の声が頭の中に響く。こんな風が冷たくなった夜には特に。

遊佐未森の音楽から始まったボクの旅。
まだまだしばらく続きそうだ。

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テーマ:本日のCD・レコード - ジャンル:音楽

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