音楽的生活1983-2008
音楽ってCDを聴いたり、ライブやコンサートに行くだけではなくて、日常生活でも音楽的なものってあるはず。 このページではそんな音楽的な出来事を紹介していきます。
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2008/06/09 [Mon] 22:52:02 » E d i t
高橋幸宏のアルバム「ニウロマンティック」。
彼の傑作アルバムの一枚であることは間違いない。

何度も聴いた「ニウロマンティック」。
1曲を選べと言われたら間違いなくこの曲「カーテン」を選ぶ。

高橋幸宏がソロアルバムで取り上げる坂本龍一提供の楽曲は何故か僕の心に残るものが多い。
「フラッシュバックしかり「スクール・オブ・ソート」しかり。あるいは菅野よう子の楽曲が坂本真綾に、ヒッチコック映画はバーナード・ハーマン音楽と相性がいいように。必ずしもその蜜月時期は長く続かないとしても、ある時期他を圧倒してしまうエネルギーが生まれる時があり、多分80年代初頭というのはこの二人の相性が最高潮だったのだろう。

そんな珠玉の1曲、「カーテン」、である。

この曲は僕が大好きなアルバム「未来派野郎」にかなり近い構造を持っているのではないか。

「未来派野郎」と同じく曲の中で音がデザインされているという印象を受ける。
モンドリアンの絵画のようにパーツパーツが組み込まれて全体を形成しているような、そんなアラベスクのような音。
このアルバム全体においてもそんなイメージがあるのだが、この曲は特にその傾向が強い。

池澤夏樹作品「帰ってきた男」で描いているアラベスク作品に音を与えることが出来るとするならば、もしかしたら「カーテン」のような作品になるのかもしれない。

とにかく一つ一つの音色が好みである。
さらに後半になるにしたがってメロディーが退廃的になるのがまたいい。

いつまでも繰り返し聴き続けていきたい、そんな1曲である。

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2008/06/09 [Mon] 20:46:31 » E d i t
竹久夢二といえば三人の女性の存在が大きい。
彼女たちが彼の作風に大いに影響を与えたのだ、というのは
ここでいまさら語らなくても周知の事実であろう。

たまき。
きりっとした自立する女。

岸 たまき(1882年7月28日 - 1945年7月9日、石川県金沢市出身、本名は他万喜)は、戸籍上唯一妻となった女性である。兄を頼って上京後、結婚歴があり死別した前夫との間に二児があった。自立の為に早稲田鶴巻町に開店した絵葉書店「つるや」に、夢二が客として毎日店に通いつめた挙句、2ヵ月後には結婚にいたった。2年後には離婚するが、その翌年に再び同棲、そして別居を繰り返す。夢二が彦乃を知った後の大正4年(1915年)、たまきと画学生東郷鉄春(青児)との仲を疑い、富山県の海岸で夢二がたまきの腕を刺すことによって破局を迎え絶縁にいたるが、たまきは夢二亡き後も終生彼を慕い続けたという。


彦乃。
嫋々とした消えてしまいそうな叙情的な女。

笠井 彦乃(1896年3月29日 - 1920年1月16日、山梨県南巨摩郡西島村(現・身延町西島)生まれ、本名はヒコノ。別名に山路しの)は、日本橋の紙問屋の娘として裕福に育ち、女子美術学校の学生であった。夢二のファンであり、絵を習いたいと「港屋絵草子店」を訪問し、交際が始まる。たまきと別れ京都に移り住んだ夢二としばらく同棲するが、大正7年(1918年)九州旅行中の夢二を追う途中、別府温泉で結核を発病。父の手によって東京に連れ戻され、夢二は本郷菊富士ホテルに移るが、面会を遮断される。御茶ノ水順天堂医院に入院した彦乃は、そのまま短い人生を終える。夢二は笠井彦乃を最も愛していたようであり、その死後しばらくショックから立ち直れなかった。「彦乃日記」を遺す。


お葉。
頽廃を秘めたリアルな肉体を持つ地下の女。

お葉(1904年3月11日 - 1980年10月24日、秋田県出身、本名は永井カ子ヨ)は、上京後、東京美術学校のモデルとして人気があった。藤島武二、伊藤晴雨らのモデルをつとめた後に、菊富士ホテルに逗留していた夢二のモデルとして通ううちに同棲、渋谷(現在の渋谷ビーム、同地に石碑あり)に所帯をもつ。大正13年(1924年)、夢二が設計した世田谷「少年山荘」に一緒に移り住んだ。一児をもうけるが夭折。翌14年にお葉は自殺を図り、半年後に別離する。後、医師と結婚し主婦として穏やかな生涯を過ごした。秀逸な絵画作品である『黒船屋』はお葉をモデルとした。


タイプの違う女性の中で自由奔放に大正という時代を駆け抜けた夢二。
彼は何を思っていたのだろうか。たくさんの女性の間で。
それは残された作品の中で確実に存在しつづけている。

彼らが生きつづけた大正という時代。
僕は今その時代に思いを馳せる。
「旅」
「遠山に寄す」という二つの作品を心に刻み込んで。

余談を二題。
①女優の緒川たまきさんは岸たまきから芸名を取っている。
②1925年、大正14年、秋田の本荘町(現在由利本荘市)まで女流作家山田順子に会いにくる。
そんな夢二に親近感を覚える。

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